なぜ峠で釜めし?その理由と歴史を知るともっと美味しくなる!

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「峠の釜めし」誕生の舞台裏

釜めし

冷たい駅弁が当たり前だった時代に生まれた革新

昭和30年代、駅弁といえば冷たいまま提供されるものが一般的でした。


その多くは保存性を重視した内容で、食べやすさや手軽さはあれど、温もりを感じられるものではありませんでした。


群馬県横川駅に位置する荻野屋の創業者である高見澤みねじは、この冷たい駅弁に代わる「お客様に本当に喜ばれる特色のある駅弁」を開発するというビジョンを掲げました。


この志が、「峠の釜めし」誕生の革新に繋がる第一歩となったのです。

温かい駅弁を提供するための試行錯誤

温かい駅弁を提供する構想は画期的ではありましたが、実現には多くの課題がありました。


特に、温度を保ったまま提供するための仕組みや、具材の新鮮さの維持が大きな壁となりました。


荻野屋の職人たちは繰り返しアイデアを練り、試作を重ねました。


時には駅のホームに立ち、旅客一人ひとりに好みの弁当を尋ねながら、お客様が求める「温かくて家庭的なぬくもり」がどのような形で実現できるかを探り続けたのです。


陶器の容器を採用した深い理由


店員女
店員女

「峠の釜めし」のもう一つの革新は、益子焼の陶器を使用した独特の容器です。

この容器は保温性に優れ、お弁当を温かいまま提供するための鍵となりました。


また、陶器の持つ重厚感と高級感が駅弁の特別な存在感を演出しました。


さらに、この容器は家庭に持ち帰り、再利用が可能なことでも評判を呼びました。


ただし昨今の衛生上の理由で再利用は推奨されていませんが、そのころは地域の文化や生活にも深く根付く存在となり、廃線となってもなお「釜めし」の容器は顧客の記憶に残る特別なアイテムとなっています。

昭和33年、ついに誕生した「峠の釜めし」

1958年2月1日、「峠の釜めし」がついに誕生しました。


この駅弁は横川駅を象徴する存在となり、旅人たちの注目を集めました。


群馬県の地元食材をふんだんに使い、鶏肉やささがき牛蒡、椎茸、竹の子、栗、杏などを彩り美しく盛り付け、出汁で炊き込んだご飯との相性も絶妙でした。


「峠で味わう釜めし」というコンセプトが観光客の興味をかき立て、口コミやメディアで次第にその名が広まりました。


そして、昭和天皇への献上をきっかけに全国的な知名度を獲得し、「峠の釜めし」は駅弁の新しいジャンルを切り開いたのです。

横川駅と「峠の釜めし」の切り離せない関係

機関車

横川駅と機関車連結作業の特異性

横川駅は信越本線の一部として1885年(明治18年)に開業しました。


この駅は碓氷峠を控えた地点に位置しており、急勾配区間(66.7‰)を越えるために補助機関車(後に「峠のシェルパ」と称されたEF63形電気機関車)を連結する特異な鉄道作業が行われていました。




この特異な作業は、横川駅のアイデンティティを形成し、旅の途中の重要な通過点として多くの旅人に親しまれました。


この地理的背景と鉄道文化が、「峠の釜めし」が生まれる鍵となりました。

碓氷峠を越える旅人を支えた温かい駅弁

かつて、碓氷峠を越える旅路は列車旅行の中でもひときわ過酷なものでした。


険しい峠を前に多くの旅人が疲れを感じ、休息を求めていた時代に、「峠の釜めし」の温かさが心と体を満たしました。


益子焼の陶器容器に詰められた釜めしは、おいしい味とともにどこか家庭的な温もりを提供し、峠越えの旅の楽しみとも結びついていきました。


この要素が、旅人に「釜めしというのはなぜ峠にあるのか」を自然と納得させる背景でもあります。

停車時間を活かした販売戦略

碓氷峠を越える特性上、横川駅では補助機関車連結の作業に時間がかかるため、比較的長い停車時間を活用することができました。


この時間を活かして荻野屋は「峠の釜めし」を販売し、乗客に直接手渡す形で弁当を提供しました。


その際、駅構内で販売員が丁寧に声をかけながら販売するスタイルが採られ、旅人との心温まるやり取りが「釜めし」の魅力を底上げしました。

観光ブームと横川駅の絶妙な立地

昭和の観光ブームが訪れると、横川駅は長野県軽井沢と群馬県高崎を結ぶルート上の絶妙な中継地点として注目されました。


その地理的利点は、観光の途中に立ち寄る拠点として横川駅の価値を高め、駅弁の需要をさらに押し上げました。


そして、「峠の釜めし」は観光の思い出の一つとしても親しまれるようになり、横川駅と釜めしの結びつきがますます強固なものとなりました。


廃線となった後も、この駅弁が生み出した文化的価値は現在でも色褪せることなく残っています。

なぜ「峠の釜めし」は今も愛されるのか?

碓氷峠

山の幸と里の幸を活かした絶妙な味

「峠の釜めし」の最大の魅力は、その味わい深い内容にあります。


鶏肉やゴボウ、椎茸、筍といった山の幸に加え、栗やウズラの卵、杏などの里の幸も絶妙なバランスで盛り込まれており、一つの釜めしで多彩な味覚が楽しめます。


また、地元・群馬県の素材を活かしたこだわりの出汁で炊き込まれたご飯は、ほのかな甘みと豊かな風味が特徴です。この組み合わせが、旅人たちの舌と心を満たし続けています。

釜めし容器が生み出す温もりと特別感

「峠の釜めし」に欠かせないのが、益子焼をベースにした特製の陶器容器です。


これによって保温性が高まり、購入後も温かいまま味わえるという点で、従来の駅弁とは一線を画した商品となりました。


店員女
店員女

この独特な容器は、持ち帰って日常生活で再利用することができました。

この容器を家族分揃えるために峠の釜めしを食べに行った人もいるのではないでしょうか。


多くの家庭で「あの旅路の懐かしい思い出」として大切にされています。


この容器が生み出す温もりは、釜めしの「特別感」を際立たせており、現在もその影響力は健在です。

峠の釜めしは陶器?

調理人

「峠の釜めし」といえば、あの独特な陶器の容器が真っ先に思い浮かぶ方も多いでしょう。


この陶器は益子焼で作られており、高さ約85mm、直径約140mm、重量は725gというサイズ感になっています。


その厚みと頑丈さが、温かい釜めしを保つための役割を果たしており、見た目の美しさも相まって、駅弁の容器としては他に類を見ない存在となりました。


陶器の選定には深い理由がありました。


山間の峠という特殊な自然環境の中で保温性を確保することはもちろん、弁当を普通とは異なる特別なものに見せる工夫としても大いに寄与したのです。


この容器が「峠の釜めし」をただの駅弁ではなく、高級で美味しい料理の代名詞へと押し上げる重要な役割を果たしました。

峠の釜飯の容器の使い道

「峠の釜めし」の陶器の容器は、その美しさと実用性から、購入後も家庭で再利用されることが多い点が特徴です。


容器の使い道としては、植木鉢や調理器具の収納、さらにはペン立てや小物入れとしてなど、さまざまな再利用法が考えられています。


その丈夫な作りとユニークな形状が、使い道の自由度を高めているのです。


一方で、強度の理由から2024年以降は直火での使用が推奨されなくなりましたが、依然として家庭での多彩な使い方が可能です。


「峠の釜めし」の味だけでなく、陶器の容器もまた、旅の記念品や日常生活を彩るアイテムとして、多くの人々に愛されています。

口コミとメディアが広げた圧倒的な知名度

「峠の釜めし」の人気は、口コミとメディアの後押しによるものが大きいです。


昭和天皇への献上という名誉ある出来事をきっかけに、「峠の釜めし」の存在が全国的に知られるようになりました。


その後、観光ブームの追い風を受けて信越本線の乗客に愛され、さらにテレビや雑誌で取り上げられるたびにその名は広がりました。


「廃線後も愛される駅弁」として語り継がれ、群馬県のご当地名物として不動の地位を築いています。

地元に根ざしたブランド戦略と進化し続ける魅力

荻野屋は創業以来、「横川駅」という地に深く根ざして事業を展開してきました。


峠や信越本線、そして碓氷峠という地理的特徴を最大限に活かし、地域と共に成長してきた背景があります。


また商品開発においては、時代のニーズを汲み取りながら進化を続けています。


現在は駅やサービスエリアだけでなく、オンライン販売を通じて「峠の釜めし」を全国の消費者に届けています。


その進化しつつも変わらない「温かさへのこだわり」が、多くの人々から長く愛される秘密なのです。